昭和堂三代目・寶川雅彦
プランナー / マーケティング・ディレクター
屋号「昭和堂三代目」について
昭和堂とは、山口県周防大島にあった手焼き煎餅屋の屋号です。
私の祖父が戦後開業し、父が二代目となりましたが、2000年12月末をもって廃業しました。
同時に煎餅を製造する型、機材はすべて破棄し、製造していた場所も改装し、今ではもう二度と再開できない状況にあります。
そのような中、どうして「昭和堂三代目」を名乗る気になったかというと、
時が流れ、歳月を積み重ねるうちに、私自身のこと、これからのことを考える中で、
ある時、ふっと思いました。
私の源泉としてあるのは、
紛れもなく昭和堂という煎餅屋で感じたもの、過ごした時間であり、
その時のことが、今の価値観や選択眼の何分の一かを形成し、
それが私の個性というものを形作っているのだと…。
*昭和堂が地元のローカルTVに出演した映像
ふるさとの道~頑固に手焼きせんべい
しかし今さら、昭和堂を再開することは無理な状況にあります。
途切れた歴史をつなぎ合わせることができない現実に直面しました。
私は昭和堂という煎餅屋から何を感じ、
何を得ていたのかを考えました。
振り返ると、昭和堂は、手焼き煎餅を焼いて、売っていました。
そこには、手焼き煎餅を焼く姿を見に来る方、
煎餅を焼く場所で語らう方、
煎餅を食べて「美味しいね」って笑顔を贈って下さる方、
多くの方々が行き来していました。
昭和堂は、手焼き煎餅というものを、製造し、販売をしていましたが、
手焼き煎餅の製造、販売を通して、地域に憩いの場、今で言うコミュニティの「場」を提供し、
地域の人たちに「笑顔」を提供していたのだということ気付きました。
手焼き煎餅を焼くことは、私にはできません。
しかし、地域コミュニティの「場」を作り、それを運営するお手伝い、
そして人々に「笑顔」を創り出し、それを繋げ、広げてゆくお手伝いは、
私がここまで培ってきた経験を通してできることであり、
それは高齢化に向かう社会、繋がりが希薄になりつつある世の中に、
何か貢献できることではないかと思いました。
また同時に私自身の個性を磨き、個性を活かして世の中の役に立てるようになることこそ、
私自身にとっても非常に価値あることだと思いました。
2011年6月、フリーランスになるあたり、「昭和堂三代目」を名乗り、「昭和堂三代目」をコンセプトとして、
少しでも社会の役に立てるような企画作りに精進して参りたいと思っております。
2011年6月1日
昭和堂三代目 寶川雅彦
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